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東京地方裁判所 昭和61年(ワ)9480号 判決 1988年2月29日

原告

古家隆

右訴訟代理人弁護士

鍛治利秀

渡辺春己

被告

株式会社初穂

右代表者代表取締役

豊島幹男

右訴訟代理人弁護士

泉信吾

若梅明

植田忠司

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金三億二〇〇〇万円及びこれに対する昭和六一年三月二六日から支払済みまで年六分の割合による金員の支払をせよ。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は別紙物件目録記載(一)(1)ないし(4)の各土地並びに同目録記載(二)(1)ないし(3)の各建物(以下併せて「本件土地建物」という。)の所有者であり、被告は不動産の建設、販売を業とする会社である。

2  原告は、被告との間で本件土地建物の売買に関して交渉を行つていたところ、被告は原告に対して昭和六一年二月二六日付買付証明書を、原告は被告に対して同月二七日付売渡承諾書をそれぞれ発行し、もつて原・被告間に次の要旨の売買契約(以下この契約を「本件売買契約」という。)が成立した。

(一) 売買代金

金一六億〇〇二一万円

(二) 支払時期

本件土地建物の所有権移転と同時に支払うものとする(ただし、右代金の内金三億二〇二一万円は、原告が被告に対して本件土地建物を明け渡すまで原告名義で金融機関に預託し、右預託金に被告の質権を設定する。)が、右代金の支払時期等は、原・被告間において別途協議する。

(三) 特約

原告又は被告が本件売買契約に違反した場合は、それぞれ相手方に対して違約金三億二〇〇〇万円を支払う。

3  原告と被告は、昭和六一年三月三日右代金の支払日及び本件土地建物の所有権移転時期を同年三月一〇日とし、本件土地建物の引渡期限を昭和六二年六月九日にする旨合意した。

4  原告は、昭和六一年三月一七日到達の書面をもつて被告に対し、同月二二日午前一〇時までに前記売買代金を持参のうえ東京法務局文京出張所に出頭してその履行をなすことを催告するとともに、右履行がなされないときは本件売買契約を解除する旨の意思表示をした。

5  原告は、昭和六一年三月二二日本件土地建物の所有権移転登記手続に必要な書類を持参して前記出張所に出頭したが、被告は、前記売買代金の支払をしなかつたので、本件売買契約は、解除により終了した。

6  原告は、昭和六一年三月二五日被告に対し、本件売買契約に基づく違約金三億二〇〇〇万円を支払うよう催告した。

7  よつて、原告は、被告に対し、約定違約金三億二〇〇〇万円及びこれに対する弁済期経過後の昭和六一年三月二六日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実のうち、原告主張の内容の記載のある買付証明書及び売渡承諾書が発行されたことは認めるが、その余は否認する。

本件売買契約は、未だ交渉段階であり、成立してはいない。右各書面の交付と売買契約又は売買予約の成立とは不動産取引慣行上も明らかなとおり別個のものであり、そのことは、右各書面に、契約内容については別途協議して定める旨の記載があることからも明らかである。右買付証明書の作成交付は、不動産売買の契約締結に至る準備段階において行われている慣行であつて、これは、相手方に対して売買契約締結に至るまでの間は他の取引業者を排して交渉を行つてほしいとする売り止め意思と、売買契約の締結に至るべく誠実に取引交渉を行う意思の表明にとどまるものであり、現に被告は、誠実に右交渉を行つたものである。

3  同3の事実は否認する。

4  同4の事実は認める。

5  同5の事実は不知又は否認する。

6  同6の事実は認める。

三  抗弁

仮に、本件売買契約が成立しているとしても、原告の本訴請求は、次のとおり権利の濫用として許されるべきでない。

1  被告は、本件土地建物の売買交渉について会社内部の稟議を経ており、その購入を強く希望していたが、容易に得られると思われていた取引銀行からの融資の実行が遅れたため右銀行に対して早急な融資の実行を依頼するとともに、原告に対して前記売渡承諾書の有効期間の延長方を要請したが、原告は、右要請にもかかわらず、事前に何らの話し合いもなしに一方的に本件売買契約の解除を通告し、違約金三億二〇〇〇万円の支払を請求してきたものである。

2  原告は、昭和六一年三月二二日のわずか六日後である同月二八日に本件土地を訴外日本地所株式会社(以下「日本地所」という。)に売り渡し、移転登記手続を了した。

3  原・被告間の本件土地建物に関する前記交渉は総額一六億円にものぼるものであり、また、本件土地建物の引渡時期は一年以上先になることが予定されていたにもかかわらず、原告は、被告の前記要請を全く無視し、他に売却先があることを奇貨として、違約金条項に基づく違約金の支払請求を行うものであり、不当である。

四  抗弁に対する認否及び反論

1  抗弁1の事実は不知又は否認する。

2  同2の事実は認める。

3  同3の主張は争う。

4(原告の反論)

以下の事情によれば、被告の権利濫用の主張は理由がない。

(一) 原告が本件売買契約を解除したのは、被告が右契約を履行しないばかりか、代案さえ示さず、十分な連絡もとらないなど右契約を実行しようとする姿勢を全くとらない不誠実な態度に終始したことによる。

(二) 原告は、不動産取引については素人であるのに対し、被告は、マンションの建設や販売を行う専門業者であつて、本件売買契約に定められている売買代金額は、被告にとつては特別多額なものではない。

(三) 本件売買契約に定められた違約金の金額は、被告からその提示がなされたものである。

(四) 被告は、原告と交渉するかたわら、本件土地の転売について多くの取引先に打診を行つており、原告が本件土地を売却する意思を有していることが多くの不動産業者の知るところとなつていた。そのため、被告との取引ができなくなつた場合には、本件土地は、いわゆるいわくつきの土地となり、以後の売却に支障をきたすおそれが生じていた。原告は、本件土地の売却を前提に種々の準備を行つていたこともあつて、本件売買契約の解除後、日本地所へ本件土地を売却したものであるが、右のような事情から、同社との売買契約における本件土地の代金額は、本件売買契約における代金額に比して低額なものとなつた。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二原告は、原・被告間に本件売買契約が成立したと主張するので、以下この点について検討する。

請求原因2の事実のうち、原告主張の内容の記載のある買付証明書及び売渡承諾書が発行されたことは当事者間に争いがなく、<証拠>並びに弁論の全趣旨に、前記争いのない事実を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  原告は、自宅及び作業所の敷地として利用していた本件土地をより有効に活用するために、右土地上にビルを建設する計画を立てていたが、昭和六〇年暮れころ、原告の取引銀行であつた訴外株式会社平和相互銀行飯田橋支店の当時の支店長の訴外西村徳光(以下「西村」という。)からの勧めもあつて、資金的な問題等からその計画を変更し、売却代金を新規の事業資金に充てるべく、本件土地建物を売却する方針を固めた。

(二)  昭和六〇年暮れころ以降、多数の不動産業者が本件土地建物の買付けないし売却の仲介を希望して原告方に出入りしていたが、それらの業者の中では訴外株式会社レッツの訴外笠原(以下「笠原」という。)が熱心に仲介活動を行つていたため、原告は、昭和六一年二月西村とも相談の上、笠原が推していた被告を本件土地建物の売却先の候補の一つとして、以後、被告との間の売買交渉を行うことにした。

(三)  原告は、昭和六一年二月一〇日ころ、当時被告の課長であつた訴外山田安夫(以下「山田」という。)と前記飯田橋支店の応接間にて最初の交渉を行つたが、まず代金額の点で折り合いが付かず、同月一八日西村、笠原とともに被告の社屋を訪れ、山田及び同人の上司である部長の訴外若林と代金額の詰めの交渉を行つた。更に、原告は、同月二四日ころ前記飯田橋支店の支店長室において西村、笠原両名同席のもとで山田と会い、代金額のほか、違約金等の条件についても具体的な交渉を行つた。

(四)  右の交渉の結果、原告と被告は、概略次のような点で合意に達した。

①  売却代金額は、金一六億〇〇二一万円(一坪当たり金一七〇〇万円)とする。

②  実測面積による売買とし、引渡は現況渡しとする。

③  原告が新規の事業資金に充てるために代金の早期一括払を希望していることを考慮して、代金の内金一二億八〇〇〇万円については売買契約締結時に支払うこととし、本件土地建物の所有権は右契約時に被告に移転するものとする。

④  本件土地建物の引渡しは、原告がそれらを自宅及び作業場に利用している都合上、売買契約締結時から一五か月以内に行うこととし、右引渡を担保するために、代金の内金三億二〇二一万円については右契約締結時に原告名義で前記平和相互銀行に預託して被告がこれに質権を設定し、右引渡と同時に質権設定を解除する。

⑤  違約金は、金三億二〇〇〇万円とする。

⑥  その他の具体的な細部事項については別途協議して定める。

(五)  右の交渉の結果合意に達した点を明らかにすべく、昭和六一年二月二六日付で被告から原告に対する買付証明書(甲第二号証)が、翌二七日付で原告から被告に対する売渡承諾書がそれぞれ作成され、各相手方に交付された。

右買付証明書は、被告の社内稟議を経たのち担当役員による決裁を受けたうえで発行されたものであり、右書面には、右(四)の合意内容どおり、代金総額、取引形態、支払方法、所有権移転時期、引渡時期、質権設定、違約金等に関する条項が記載されていたほか、その他の条項として「契約内容については別途協議して定める。」との記載がなされており、更に、被告が右記載の条件で本件土地建物を買い受けたい旨が記されていた。

また、右売渡承諾書には、原告が被告に対して本件土地建物を右買付証明書記載の条件で売り渡すことを承諾する旨が記載されていた。

(六)  その後、原・被告間で、右買付証明書及び売渡承諾書にいう売買契約締結時を昭和六一年三月一〇日とし、右同日に正式な売買契約書を取り交わすことが合意され、更に、原告と山田との間で細かな売買条件についての交渉が続けられた。そして、山田は、同月三日ころ右交渉結果に基づいて具体的な条項を盛り込んだ売買契約書の素案(甲第四号証の一)を作成して原告に示し、原告から修正要求が出た若干の部分についてこれに手直しを加えて売買契約書案(甲第五号証の一)を作成し、再び原告に示すとともに、被告の社内稟議に回した。

(七)  しかし、本件においては前記のとおり代金額の八割に及ぶ金一二億八〇〇〇万円を売買契約締結時に一括して支払う旨合意されていたところ、被告は、当初の予測に反して金融機関との交渉が長引いたために、契約締結日の昭和六一年三月一〇日までに右支払に要する資金を調達する見通しを立てられず、山田が同月八日に原告にその旨を告げた。そして、山田が作成した前記売買契約書案は、被告の社内稟議を経て担当役員の決裁を受けるまでに至らず、同月一〇日には売買契約書は作成されず、被告から原告への代金の内金の支払もなされなかつた。原告は、同月一七日被告に対し、同月二二日までに右代金を支払うよう求め、右同日までに支払がなされないときは契約を解除する旨通知したが、被告がこれに応じなかつたため、代理人を通じて同月二五日違約金の支払を請求した。山田は、原告に対して代金額の増額と支払方法の変更を提案し、交渉の継続を希望したが、原告の容れるところとはならず、結局、原告は、同月二八日日本地所に対し、本件土地建物を売却し、右同日付で所有権移転登記を了した。

以上の事実が認められ、前掲証人山田の証言中右認定に反する部分は採用せず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  ところで、売買契約が成立するためには、当事者双方が売買契約の成立目的としてなした確定的な意思表示が合致することが必要であるが、前掲証人山田の証言及び弁論の全趣旨によれば、不動産売買、とりわけ本件のように高額な不動産売買の交渉過程においては、当事者間で多数回の交渉が積み重ねられ、その間に代金額等の基本条件を中心に細目にわたる様々な条件が次第に煮詰められ、売買の基本条件の概略について合意に達した段階で、確認のために当事者双方がそれぞれ買付証明書と売渡承諾書を作成して取り交わしたうえ、更に交渉を重ね、細目にわたる具体的な条件総てについて合意に達したところで最終的に正式な売買契約書の作成に至るのが通例であることが認められるから、こうした不動産売買の交渉過程において、当事者双方が売買の目的物及び代金等の基本条件の概略について合意に達した段階で当事者双方がその内容を買付証明書及び売渡承諾書として書面化し、それらを取り交わしたとしても、なお未調整の条件についての交渉を継続し、その後に正式な売買契約書を作成することが予定されている限り、通常、右売買契約書の作成に至るまでは、今なお当事者双方の確定的な意思表示が留保されており、売買契約は成立するに至つていないと解すべきである。

これを本件についてみると、前示のとおり、原告と被告は、昭和六一年二月一〇日ころから本件土地建物の売買の本格的な交渉を始め、同月二六日ころまでに代金総額、取引形態、支払方法、所有権移転時期、引渡時期、質権設定、違約金等に関する事項の概略について合意に達し、その内容を明らかにすべくそれぞれ前記買付証明書及び売渡承諾書を作成したが、この時点では、代金の内金の支払時期、所有権移転時期及び質権設定時がいずれも「売買契約締結時」と合意され、また、右各書面に「契約内容については別途協議して定める。」と明確に記載されているとおり、その余の売買条件の細目については未だ合意に達しておらず、正式な売買契約書の作成に至るまで原・被告間で未調整の事項について更に交渉を継続していくことが予定されており、その後、現実に原・被告間において交渉が継続され、売買契約締結時を同年三月一〇日とし、右同日正式な売買契約書を作成することが現実に合意されながら、右契約書の作成に至つていないのであるから、結局、原告と被告との間で本件土地建物の売買契約に不可欠な確定的な意思表示がなされたものとは認められず、本件において原告主張の本件売買契約の成立を認めることはできない。原告は、前記買付証明書及び売渡承諾書の各発行により、原・被告間に本件売買契約が成立した旨主張するが、右各書面の発行時における原・被告の意思表示は、その後の交渉経過を踏まえて後日行われる正式な契約書の作成を予定した上でなされたものであつて、これをもつて売買契約の成立に必要な確定的な意思表示と評価しえないことは前示のとおりであり、原告の主張は理由がない。

三以上の次第で、その余の点について判断を加えるまでもなく、本件売買契約の成立を前提として約定違約金及びその遅延損害金の支払を求める原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官尾方滋 裁判官大淵武男 裁判官相澤哲)

別紙物件目録

(一)(1) 所在 東京都文京区後楽二丁目

地番 一〇〇番一九

地目 宅地

地積 223.79平方メートル

(2) 所在 右同所

地番 一〇〇番三九

地目 宅地

地積 19.53平方メートル

(3) 所在 右同所

地番 一〇〇番四〇

地目 宅地

地積 4.11平方メートル

(4) 所在 右同所

地番 一〇〇番四一

地目 宅地

地積 38.44平方メートル

(二)(1) 所在 東京都文京区後楽二丁目一〇〇番一九

家屋番号 一〇〇番一九の一

種類 居宅

構造 鉄骨造陸屋根二階建

床面積 一階及び二階 各階とも51.84平方メートル

(2) 所在 東京都文京区後楽二丁目一〇〇番地

家屋番号 六八番

種類 居宅

構造 木造杉皮葺平家建

床面積 38.01平方メートル

(3) 右(一)の土地上に存する未登記建物二棟

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